デジタル社会参加のステップを耕せ

2021/5/9 ※ 本コラムは教育家庭新聞 2022/5/2付 記事「GIGA端末を活かす!教員研修・授業活用<11>「ジュニアICTリーダーが町づくりを提案~大分県玖珠町」中村学園大学教育学部 山本朋弘教授」に関する批評です。

デジタル・シティズンシップの重要目標のひとつは、デジタルを駆使した社会参加を実現することだ。社会参加には様々な方法があり、学校活動のなかに積極的に組み込むべきものもある。

前述記事で指摘すべき点は2つある。
1点目「校内ICTサポートの子ども組織」は欧米でも見かけるスタイルで、(クラスのなかでは多くが地味で目立たないが)スキルを持った子が頼りにされ、活躍する場を得るという意味でも面白い。ただし、記事にあるような企業講師の研修は筋が良いとは思わない。それは学校的知識伝達と業務としてのサービス提供の枠組みに囚われ、児童生徒の自主性はかえって疎外されかねない。

係活動・委員会活動の本来は、フィールドにある課題に気付き、試行錯誤と対話の中で解決することにこそ意義がある。よって、目的はICTサービス水準維持より、学校日常における援助行動を増やすことに置くべきだし、(レベルの差こそあれ)援助行動は低学年から発現するのだから、学級指導の一環から委員会活動へつなげるのが真っ当なやり方だろう。

2点目はこの記事の後半にある町づくり提案についても一言書いておきたい。自治体公式サイトに編集権限を与えるのはデジタル・シティズンシップ視点から見ても画期的だが、責任の伴う社会参加は急に出来るものではない。幼いころから段階に応じた伸長を考えねばならない。

子どもの参画はロジャー・ハートの参加の梯子が知られる。本格的に取り組むならば、発達と合わせて、責任をもつこと、社会に貢献することの足場かけを仕組んでいく必要がある。間をつなぐステップがなければ、単なる「お飾り参加」で終わってしまう。

ロジャー・ハートの参加の梯子(室橋祐貴 2021による

では、町づくり提案の前に何をすべきか。例えば、デジタル・シティズンシップの教材でたびたび登場するのは「責任のリング」という概念だ。コミュニティとの関わりを持てば、責任は自分自身にも、周囲(お互い知っている関係)にも、そして自分が直接知らない人々に対しても生じることを学ぶ。

具体的なアクティビティと絡めて学びを真正なものとする一例としては、学校サイトに児童生徒がブログ記事を書いて公開する(当然教員の朱入れは必須だけれど)方法がある。学校として公(おおやけ)の立場を帯びるのなら、何を情報として発信すべきか、どこに責任を負うべきか、繰り返し経験を積むことで、地域社会を見る目を育てる。

残念ながら、当該の玖珠町各学校にはサイトはあるが、ブログに児童生徒は参加していないようだ。こうしたところから丁寧に扱えるかどうかによって、ICTは地に足の付いた学校日常や町づくりになっていく。メディアだけではまだまだ不十分なのだ。

いずれにせよ、これは全国から注目されるようなせっかくの機会なのだから、より丁寧にカリキュラム全般に踏み込んで子どもたちのデジタル社会参加に本格的に取り組んでいただきたい。

STEAMライブラリ(GLOCOM・NHKエンタープライズ)のデジタルシティズンシップ教材には、地域社会課題を扱うコマ8がある。